東京地方裁判所 昭和30年(ワ)432号 判決 1956年4月02日
原告 鈴木登久治
被告 藍沢厚時
主文
被告は原告に対し、東京都葛飾区下千葉町八百七十七番地家屋番号同町八百十八号木造瓦亜鉛葺平家建住家一棟建坪十六坪七合五勺を明渡し、かつ、昭和二十九年十二月一日から明渡ずみまで一カ月金千百三十一円の割合による金員を支払え。
訴訟費用には被告の負担とする。
本判決は金員支払の部分に限り、仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として次のとおり陳述した。
一 原告の先々代鈴木佐吉は被告に対し、昭和五年中、その所有する主文掲記の家屋(以下本件家屋という。)を期限の定めなく貸料一カ月金十五円毎月末日支払の約で賃貸し、昭和十八年一月三日、佐吉死亡により原告の父鈴木清が家督相続して賃貸人となり、更に同人は昭和二十年二月二十日戦死したので、原告が家督相続して本件家屋の所有権を取得し、賃貸人たる地位を承継した。しかして、その賃料は漸次改訂され、昭和二十六年中に一カ月金三百五十円、昭和二十九年十二月一日以降一カ月金千百三十一円となつた。
二 しかるに被告は、昭和二十九年九月頃から本件建物の玄関に続く三畳一室を訴外鈴木芳蔵に転貸し、被告及び右訴外人は本件家屋の玄関に物置同然に家財を積み重ね、そこに「コンロ」をおいて火を起し、廊下にじかに自転車を持ちこむ等本件家屋を極めて乱暴に使用している。
三 よつて原告は、昭和三十年一月六日附書面をもつて被告に対し、無断転貸を理由に本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、書面による意思表示は、同月七日、被告に到達したので、同日賃貸借契約は解除になつた。
四 よつて原告は被告に対し、賃貸借契約終了により本件家屋の返還並びに昭和二十九年十二月一日以降右契約解除の日までの一カ月金千百三十一円の割合による不払賃料及び解除の翌日から明渡ずみまで右賃料相当の損害金の支払を求めるため本訴に及ぶ。
五 被告の抗弁事実はすべて否認する。原告は昭和二十九年十一月頃、被告の無断転貸の事実を知つたのが、できる限り円満に事を運ぼうとして直ちに解除権を行使せず隠忍自重したのであり、決して転貸を承認したものではない。家屋の修繕義務を尽さないというが、当時一カ月金三百五十円の賃料で修繕義務の履行を求めることは全く不可能を強いるものである。しかも被告は従来より賃料支払状態が悪く、昭和二十七年一月分から昭和二十九年十一月分まで約三カ年分の賃料支払を怠り、原告代理人の催告によりようやく昭和二十九年十二月三十日右延滞賃料の支払をしたけれども、以後の賃料は全く支払つていない。このような事実は原告と被告との賃貸借契約の基礎となる信頼関係を破壊するものであり、原告が契約を解除したのは当然のことで、被告主張のような権利の濫用はない。訴外鈴木芳蔵がすでに退去したことは認めるが、これによつて信頼関係が回復するものではない。
被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁及び抗弁として次のとおり陳述した。
一 原告主張の請求原因第一項の事実及び訴外鈴木芳蔵が原告主張の頃から本件家屋に居住していること(ただし、同人は昭和三十年九月中旬退去した。)並びに原告主張の日時にその主張の契約解除の意思表示が被告に到達したことは認める。
二 被告は前記訴外人に本件家屋を転貸したものではない。同人は被告の使用人であり、被告は食料品、雑貨等を行商して不在勝であり、妻子は東京駅名店街で料理店を経営していて帰宅は深夜になるので、右訴外人を留守番として居住させたのである。
三 仮に被告が本件家屋を右訴外人に転貸したものであるとしても原告は爾後これを承認したものである。又仮に原告がこれを承認したものでないとしても、一定の期限を定めて立退きを請求しこれに従わない場合に始めて契約の解除ができる筋合であるのに、原告はこの催告をしていないから、解除の効力は発生しない。
四 以上の主張が理由がないとしても原告の本件契約の解除は権利の濫用である。すなわち、被告は昭和五年以来本件家屋を賃借して相当の賃料を支払い、原告にこれにより過去二十年以上にわたり生計の資を得てきたものであり、被告は本件家屋を生活の本拠として社会的信用を築いてきたものである。しかも本件家屋は相当古い家屋であるうえに、過般の洪水に遭遇して甚しく腐朽し、雨漏りもはげしく、建具の建付け等も自由でない状態であるのに、原告は全く修繕義務をつくさないので、被告は時に応じ自費で修繕を施してきた。又訴外鈴木芳蔵を居住させたことが転貸と認められるとしても、同人は原告の部下とも見るべき友人であり、その居住する家屋の明渡しを求められ困窮していたので、移転先の見付かるまで一時同居させたに過ぎず、このようなことは今日の社会においてやむを得ないところであり、しかも同訴外人はすでに退去しているのである。これに反して原告は他にも数棟の貸家を所有しており、他の借家人の中にも間借人をおいているものがある。原告がこれらの事実を無視し、被告の些少の義務違背を理由として明渡しを求めるのは被告に対して何らかの悪感情を有しているものといわざるを得ない。よつて原告の解除の意思表示は無効であり解除の効力を生じないものである。
<立証省略>
理由
被告が原告所有の本件家屋を賃借して今日に至つた経緯並びに賃料額改訂の経過が原告主張のとおりであること、訴外鈴木芳蔵が昭和二十九年九月頃から昭和三十年九月頃まで本件家屋において被告と同居していたこと及び原告が被告に対し、昭和三十年一月六日附書面をもつて、被告が本件家屋の一部を右訴外人に転貸したことを理由として本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、右書面による意思表示が同月七日被告に到達したことは当事者間に争いがない。
そこで、前記訴外人が本件家屋に居住するに至つた事情並びにその後の経緯について考察するに、前掲当事者間に争いのない事実に、成立に争いのない甲第四号証の一、二、同第五号証(乙第三号証)、同第六号証の一、二、証人柴崎良治、相川鎌吉、相川重太郎、鈴木芳蔵の各証言及び被告本人尋問の結果(証人鈴木芳蔵の証言及び被告本人の供述については、いずれも後記措信しない部分を除く。)及び本件口頭弁論の全趣旨を綜合すると、
(一) 被告は、昭和二十九年九月頃、その古くからの知人である訴外鈴木芳蔵が居住家屋の明渡しを求められ移転先がないというので、原告の承諾を得ることなく、同年九月一日から右訴外人夫婦及びその子供一名を本件家屋の玄関に続く三畳の間(ただし、この部分に限定したわけではない。)に居住させ、間代として一カ月金千円。電気、ガス、水道代として一カ月金千円をそれぞれ受領していたこと。
(二) 原告は、昭和二十九年十一月頃、被告が同居人を置いている事実を知り、かつ、被告が当時約三年分の賃料を延滞していることを理由として、亀有警察署へ生活相談を申立て、調査を依頼したところ、同署員の呼出しに応じて同年十二月三日、前記訴外人が被告の代理として同警察署に出頭したので、原告親権者鈴木みよ及び親族相川重太郎から同訴外人に退去を求めたこと。(右訴外人は同日まで本件家屋が被告の所有であると信じていた。)
(三) しかして被告は、同年十二月三十日、延滞賃料を支払つたが、昭和三十年一月五日、右相川重太郎及び原告代理人石川弁護士が本件家屋に赴き被告に面会を求めたところ、被告は病気を理由としてこれを拒否し、前記訴外人は「越すところが見付かれば明日にでも越す」と答えたが、本件家屋の玄関土間には荷物を置き、同所に「コンロ」をおいて炊事をし、廊下には泥のついた自転車をあげている有様であつたので、原告は冐頭説示のとおり、翌一月六日附書面をもつて被告に対し、契約解除の意思表示をすることに至つたこと。
を認めることができ、乙第二号証の記載並びに証人鈴木芳蔵の証言及び被告本人の供述中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして措信できず、他に右認定事実を覆すに足りる証拠はない。
右の事実によれば、前記訴外人は被告の家族、雇人もしくは一時の泊客として本件家屋に居住したものでないことが明らかであるから、被告は右訴外人に本件家屋の一部を転貸したものといわなければならない。被告は右転貸について原告の承諾を得たと主張するがこれを認めるに足りる証拠は全く存在しない。しかして民法第六百十二条第二項の規定により、賃借人が賃貸人の承諾を得ないで賃借権の譲渡又は賃借物の転貸をした場合は、賃貸人は解除権を有するのであるが(被告は、この場合においても期間を定めて催告したうえでないと解除権が発生しないと主張するが、右は民法の明文に反する独自の見解であり、当裁判所の採用し難いところである。)、たとえ賃借人において賃貸人の承諾を得ないで上記の行為をした場合であつても、賃借人の右行為を賃貸人に対する背信行為と認めるに足りない特段の事情のあるときは、賃貸人は同条項による解除権を行使し得ないものと解するを相当とする。今本件についてこれを見るに、訴外鈴木芳蔵は、その居住先から明渡しを要求され移転先がないまま被告に依頼して本件家屋に居住するに至つたもので、このような状況にある知人を同居させるに至つた被告の所為そのものはさして責められるべきではないであろうが、被告は右訴外人を同居させるに当り賃貸人である原告の諒解を得べく努力した形跡もなく、右訴外人に対しては本件家屋を原告から賃借している事実を告げず、自己所有の家屋であるかのようにふるまい、しかも当時本件家屋を一カ月金三百五十円の賃料で賃借し(右転貸の当時、約三年分の賃料を延滞し)ていながら右訴外人からは電気、ガス、水道代を別にして一カ月金千円の賃料を受けとり、亀有警察署の生活相談において原告から右訴外人の立退きを求められたにかかわらず同人の移転先を探す努力をもせず(このような努力をしたことを認めるに足りる証拠はない。)、右訴外人には本件家屋の玄関で炊事をさせ、泥のついた自転車を廊下に上げる等乱暴な使用方法をとつていたのであるから、右転貸は賃貸借の信頼関係を裏切るものといわざるを得ず、たとえ右訴外人が本訴提起後である昭和三十年九月に至つて退去したとしても、すでに失われた信頼関係を回復し得るものではなく(しかも右退去はすでに契約解除の後である。)、本件において民法第六百十二条第二項の規定を排除する特段の事情は存しないものといわなければならない。
被告は原告が本件家屋の修理義務をつくさないとか、他に借家を有しているとか主張するが、右は被告のした転貸行為を正当づける何らの理由ともならないことは、多く説明を要しないところである。その他原告において不当の目的をもつて本件家屋の明渡しを企図するものであることを認めるに足りる証拠は存しないから、原告のした契約解除を目して権利濫用ということはできない。
しからば、原告と被告との間の本件家屋の賃貸借契約は、原告のした契約解除の意思表示が被告に到達した昭和三十年一月七日をもつて解除されたものというべく、被告は原告に対し本件家屋を明け渡し、かつ、昭和二十九年十二月一日以降解除の日までの延滞賃料及び解除の日の翌日から明渡ずみまで賃料相当の損害金として一カ月金千百三十一円を支払うべき義務があるから、原告の請求は全部これを認容し、(家屋明渡しの請求について仮執行の宣言は必要がないと認めて棄却する。)訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 田中恒朗)